「7capo‐Gの女」
週末、大変だった1週間がやっと終わったと言うのにまっすぐ帰る気にならない。
楽しそうな人ごみの中を疲れ切ったサラリーマンが放浪しているようだ。
夕方まで続いた、プロジェクトの進行具合・反省会を兼ねた会議は重たいものだったし。
駅前の百貨店へと続く中央コンコースにはところどころに人だまりが出来ている。
最近はSNSを始め、ちょっとした店を起業するにしたって簡単なものだ。
若者たちは、いや、もうベテランの大人たちでさえ気楽に新しい道を歩き出す。
俺たちの学生時代にだってストリートミュージシャンもパフォーマーも存在したが、
そこには緊張感もあり敷居も高かった。
無名のプロか、限りなくプロに近いテクニックを持った者しか立たない場所だったはず。
今は違う。まるで家の中で練習しているような感覚のまま人前に出ている。
もちろん、そんな表現者の前には冷やかしや関係者以外素通りなのだが。
でも、中には人を引き付けるような魅力をちゃんと持っている原石や規格外品も存在する。
周辺の人だかりとは完全に違う、そこへの熱い注目が空気となった群衆のオーラ。
行き交う人々を引き込んでしまう声を響かせてそこに存在していた・・・
地ベタに何も敷く事なく座り、気怠そうに抱えたギターをかき鳴らす女。
まだ20代前半だろうか、セミロングの素っ気ない黒髪、
タータンチェックのシャツと、青が完全に褪せたダメージジーンズ姿。
座っていてもわかる小柄な体格も含めて、まるで70年代の学生ミュージシャンのよう。
でも、その歌声は人々を魅了していた。
サビにくればいい具合に割れて心を震わすビブラートが自然に効いている声。
声量も充分だし、その歌詞がある意味乱雑な並びで、
そのダイレクト感が妙に印象的で歌詞に説得力を持たせ届けて来る。
スタイルは昭和風だが、歌詞・歌い回しはやはり現代風に違いない。
昔を懐かしむ世代を取り込みながら、しっかり今の若者に届くフレーズを歌っている。
歌詞の魅力やボーカルの個性から見れば、ギターは実にベーシックなものだ。
普通のコードストロークばかりだし、シンプルでアレンジのない循環コードばかり。
ただ・・・
7フレットにカポタストを取り付けて歌い出した曲が妙に哀愁に満ちていて惹かれた。
この曲も例に漏れずG-Em-C-Dを繰り返すだけの本当に単調なもの。
それなのに、そんなギターの音色まで自分の体の一部にしているような説得力がある歌声。
むしろ無駄なテクニックなど無用に感じさせる歌詞・ボーカルの表現力が生きている。
使い古したようなメーカー製のスニーカーもその歌声に似合っているし。
一部には彼女の存在を知って来ているファンのような存在もいるみたいだが、
おそらく動画サイトなどではそこそこ知名度のある人間なのかもしれない。
擦り切れた、沢山のステッカーが貼られたギターケースも似合っている。
途中から来て3曲聴いたところで終了したが、特にCD(自主制作盤)のような物、
または関連用品の販売とか、ライブの告知やチラシの類すら配る事はなかった。
自分のしている事に自信があるのか、それとも、活動のスタイルを完全に決めているのか。
その潔いスタイルも含めて、他の周辺パフォーマーと別格の彼女は印象に残った。
彼女の歌を聴いた日から1週・2週と過ぎたまたある週末の事だった。
その日も帰りに彼女の存在を気にしていたが、いつもより1時間以上遅くなり、
もう大半の実力のあるパフォーマーは集まりを閉じていて、
本当に素人そのままのお兄ちゃん・お姉ちゃんが数人の中で歌い・弾いているだけ。
俺はもう閑散としたコンコースを足早に走り去り、家路を急いだ。
タイル張りの通路は終わり、階段を降り、
交通量の多い(特にタクシー)通りの歩道を街から離れるように歩いて行った。
途中道路沿いに公園がある。春にはこの辺では桜で有名なちょっとした大きな公園。
市街地・大通りに面してある公園だから面積はたかが知れているが、
でも、周辺の立ち並ぶビルの中にあれば大きさを倍増して感じる事になる。
ただ・・・
暴走族が集まるような場所ではないが、夜な夜な少人数の不良グループが現れる場所で、
公園周りを夜のジョギングをする人間はいるが、園内には入らないようだ。
噂では酔ってベンチで休んでいたサラリーマンがオヤジ狩りにあったとか、
夜のジョギングをしていた女性がトイレを利用した時に少年グループにレイプされたとか、
デート中のカップルが金銭を盗まれ、やはり女性がレイプされてしまったとか。
いずれにしても昼間のオフィス街のオアシスのイメージと全く違う夜の顔があるようだ。
俺ももちろんそんな公園になど夜な夜な入って行ったりした事はない。
いつも通り足早に通り過ぎようとしていた。
通りから遥か奥に公衆便所の場所の明かりが見える。
その時も何の気なしにその灯りを眺めて歩いていたのだが・・・
数人の少年のような若者たちが公衆便所に雪崩れ込んで行く姿が見えた。
オヤジ狩り・暴行事件等、物騒で怖い。普通ならそのまま通り過ぎるところだった。
でも、男たちが雪崩れ込んで行ってのはトイレの右側の入口。
ここのトイレは右側が女子トイレで、中央に障害者用トイレがあり、男性は左側。
自分の中に何かが走った。
少し迷いの時間に止まった。人の出入りはないし、灯りが動く事もない。
やり過ごし、家路につく事を選び歩き始めようと視線を動かした時、
トイレの入り口に置かれたものに視線が止まった。
??? 大きな荷物?
少しフェンスに近づいて目を凝らして見た。ギターケース?
さらに目を細めて焦点を合わせると、薄っすらだがところどころに白い模様がある。
沢山のステッカーの貼られたギターケース、この時間、女子トイレ・・・
自分の中で繋がった。と言うよりも繋げていた。
それまでの恐怖心を押さえ込むように“それ”への興味が大きくなったのだ。
恐怖心が消える事はないが、それでも恐る恐るその場所に近づいて行く。
この時間の公園は思った以上に人気がなく、入口のフェンス付近で会話するカップル、
途中でゴミ箱を物色するホームレス風がいたものの、奥に行けば人気は無かった。
もう目の前10数メートル程の場所にまで近づいた。
間違いない、あれだ、彼女のギターケースだ。見覚えのあるそのまま、本人と確定。
しかし・・・ これ以上近づく勇気がない。
中で何が行われているのか、知りたくて仕方ない衝動に駆られていると言うのに。
まさか入口から女子トイレに入って行く勇気なんてない。
少し考えた。かすかに奥から人の声が聞こえるし、やはり間違いなく“何かある”
自分の中にその確信があるだけに、勇気がないなりに何とかしたい。
少しでも得をしたいんだ。可哀想だが、でも、彼女が少年たちに犯されている姿、
俺はそれを見てみたい。
必死で方法を考えていた。ただただ犯されているところを想像するだけなんて・・
とりあえず、静かに男子トイレ入口側に回り込んでトイレ後方に行ってみた。
聞こえる、確かに聞こえる。女性が口元を押さえ付けられて漏らすような声、
そして時々男の声で、「静かにしろよ、大人しくしろって!」と聞こえた。
確信。そう“如何わしい事”がこの中で行われている事に間違いはない。
トイレ裏側の壁面の上部に設けられた明り取り・通気口から、
壁先一枚のリアルな空気が伝わって来ているのに・・・
何とかしたい。何とか・・・
後ろを振り返った。少し離れた場所に枝のしっかりした木がある事に気付いた。
木登り?? そこに上って覗き・・・
スーツを着た会社帰りのサラリーマンが公衆便所の女子トイレを覗き?
それも、中で女性がレイプされている事に気が付いているのに傍観し、
それどころかそれを見物しようだなんて。
恥ずかしい限りだ。木登りだって、子供の頃でさえほとんどやった記憶がない。
でも、欲望と言うものは恐ろしいもので・・・
スーツが擦り切れるのを平気で登っていた。
必死で、それもトイレの屋根よりもずっと高い場所にまで。
人が見えた。最初はドキっとしたが、トイレ側・室内が明るく外(こちら)は暗い。
木登りしているのは子供じゃないから、そんなところは冷静に考えられる。
冷静に見る事は出来るのだが、肝心のそのシーンが・・・
一人・二人、そしてさらに別の少年と、男たちは入れ替わり見えるのだが、
横の便器のスペース、あるいは手前側の壁でされているのか、
あの女性の姿がまったく拝めない。
トイレの造りからすれば各々の扉が横方向に並んでいるはずだから、
中でされているのなら見えるわけがない。手前の壁にしても同じ事だが。
男たちの視線の先がこちら側を向いている事を考えれば、
どうやらこちら側の壁に押し当てられて悪戯されているに違いない。
もどかしい・・・ ニヤニヤして喜んでいる少年を見ているだけなんて。
スマホを構えて撮影している。今、彼女はどんな格好にされているのか。
どんな事をどんな風にされているんだろうか・・・
こんな状況ではストレスにしかならない。
男の息づかい・声が漏れて来る。あきらかに誰かが彼女を突いている事はわかる。
裸にされ犯されているシーンを撮られているのだろうか。
それとも、もっと進んで口の中へでも押し込まれているのだろうか・・・
あの群衆の中で堂々と歌を聴かせていた彼女が、今、少年たちに犯されている。
そしてそんなシーンを撮られている。
小さな体から絞り出す響き渡るあの歌声、でも今はその声を抑えられて・・・
結局最後まで彼女を見る事は出来なかった。歌う彼女、トイレの中の彼女、断片。
あれから、もうあの場所で歌う彼女を見ていない。“7カポ”で弾き語る彼女を。
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