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「いんらん(淫乱)」





何故だろう、少し寂しい気持の時に想い出す女性たち・・・
女性を浮かび上がらせるのだから、
きっとどこかに厭らしい欲求を膨らませているのだろうか。
いや、違う、そんなことはない。
彼女たちは周りの噂で汚されていただけで、けっして汚れた人間ではなかった。
それぞれに、私がその時代その時代に仄かな想いを寄せた女性たち。
何故か共通して周りの男たちは露骨に、そして女たちは陰に隠れ使っていた言葉、
“淫乱”
今、それなりに経験を積んだ今だからこそ、私は改めて彼女たちの本当の姿を知りたい。
強く思っている。



どんなに幼くても、幼少期から色気を持った女性と言うのは存在する。
私の周りにも確かにいた記憶がある。
仕草、発する言葉、年齢に関係なく、接する異性(男性)との距離感に出る事もある。
それが美しい容姿を持ったが故の悲壮感の様に感じられる様な時もあれば、
余裕を持って自分の近くを冷めた目で見ている様に感じられる様な時もある。
異性への露骨なアプローチを以て“(異性に)媚びた女”を評されるタイプの女性は、
そもそも肉体的な根拠を持った“淫乱”を冠している様な気がする。
つまり、それは肉体関係へのアプローチ、もしくは、
自分の肉体(容姿含む)を使って吸引的行動で、ストレートに女としての目的が見える。
私の記憶にある女性たちはどうだろう。
私は普通の男だと思う。つまり、普通に恋焦がれて想いを寄せ、また別に、
その肉体(容姿)に強い刺激を受け、その欲求に大きく揺り動かされたり・・・
本当に普通の男だと。
そんな私の中で、“好き”とか“したい”とか、そこに入らないのに、
それでいて何故か忘れた頃に浮かび上がり、そして仄かに良い気持にさせる女性たち。

例えば中学の時のクラスメイト。
私の一つ前の席に座っていた時期もあったその女の子。
その時期には、いつでも頭から離れないぐらい好きで、本当に憧れていた女子、そして、
性に興味が大きくなって来て、学年の中でもひと際成長の早かった女子、
自分にとって最初のセックスシンボルと言ってもいい様な存在になった印象深い女子、
そんな彼女たちがしっかり存在していた、そんな時期だったはず・・・

分からない。
そんなに印象の大きな女性たちの、それはほんの狭間にいたはずなのに、
その笑顔、表情、言葉、シーン、どれも、圧の強い彼女たちよりも鮮明だったりする。
何が特別だったと言うのか?
間違いなく彼女にとって私は特別な存在ではなかった。
私はそんな人間ではないし、特別な話、特に、恋愛や性の話なんてした記憶もない。
大きな熱の様なものが二人の間にあったような感じはなかった。
つまり、私の側も彼女を“特別な存在”などとは見ていなかったと言うこと。
なのに何故だろうか、後ろに振り向く彼女は勿論、
別室で行われる様な、自分たちの教室での並びと変わり、
遠く離れた向かいの席になった時でさえ、本当によく視線が合ったし、
大きなリアクションをとるわけでなく、でも静かに見つめ合っていた様な・・・
何だろうか。いったい何だったのだろうか。
学年が変わり別々のクラスになり、もうお互いの残り香が遠くかすれたようになって、
本当に久々に廊下ですれ違っても、髪を切って大きく髪型を変えた彼女を近く感じ、
しかも、無言のまま照れくさそうな表情をし触れるほど近くをすれ違っても、
私たちに会話はなかった。なのに、しっかり表情で応えてくれていた。
聞いてみたい。
でも、聞かない方が良いだろう。きっと特別でないんだろう。きっと。


高校の時、そして社会人になってからも時間を置いて数人、
そんなタイプの人間が存在した。
恋愛やカラダの関係などなく、そんな話もしない関係のはずなのに近いと言うか・・・

彼女たちに無理して共通項を見つけ出すとすれば、
そのグループ・組織の中で目立たない女性たちだが、おそらく美人だ。
男性陣にはそれなりの支持があった気がする。
しかし共通して少しクールと言うか、それは冷たいと言う意味合いでなく、
ギラギラした熱を押し付けないと言うか、大声を上げたり激しい表情も見せないし、
それが同性といる時でも異性といる時でもそれほど変わらない。
また、周りの女性たちから少し独立していて、そう、年齢より大人びている。
私はずっと思っていて、つまり、
若い女性にとっては自分より少しでも大人びて見える同じ年、
そして自分たちの輪を評価して交流を試みないその欠点の少ない女性を、
彼女たちは少し嫉妬心を持って見ている様に思っていた。
ある意味、“涼しい顔をしながら異性にはある程度の人気がある”厄介な存在だ。

でも、そんな自分の考えに自信があるわけでもない。
まだ若い、青かった学生時代は勿論、自分が彼女たちの事をどれほど知っているのか、
そして、
私の知らない彼女、または同性だからこそ見えていた彼女の姿もあったのだろう・・・
自分の想った相手とか恋人とか、そんな存在ではないものの、
仄かでも良い雰囲気・余韻を持った関係の女性が悪く言われるのには気持ちが重い。
それも尺度や重みが違えど、一度は“淫乱”という言葉を聞いてしまう。
まだ言葉の意味や使い方を知らない女性(女子)が、
一方的な敵意で喧嘩ごしに放つ言葉であるなら、きっと、
「この淫乱女!」と“淫乱”が使われても、それほど重みも感じられない。
でもそれが年を重ねた女性の放つ、
「あの子淫乱なんだよねぇ・・・」と使われる“淫乱”には悪意も感じながら、でも、
何かそこに根拠があり、
それを裏付けるような情報でも知っているかの様な気持ちにさせられる。
私だけが知らなくて、陰では男を漁り思いのままに体を許し、
仲の良い友人の恋人を平気で奪っていたりするのだろうか・・・
あれほど自然体で生きている様に見える彼女たちなのに・・・


一人、そんな女性の中にいた人物にすれ違った。
向こうは気が付かなかったと思うが、中学生と小学生の男女だろうか、子供、
そしてきっと夫と思われる人物。真面目そうで家族を大切にしそうな。
そう、温かい家庭を感じさせるそのものだった。何より彼女の柔らかい笑顔が。
きっとそれでも、
“計算して手に入れた”とか“散々遊んで飽きて納まった”とか・・・
何とでも言えるだろう。今でも彼女たちを淫乱と言っていた女性たちは言うだろう。
信じない事にしたいんだと思う。
彼女たちの“(女性としての)大きさ”が周りの女性たちを脅かした事が原因と思う。


“淫乱”と悪口を言われる女性には二つあるんだ。
自らの小ささを隠すため、自分の女性を一杯に使って男を必要とする淫乱。
そして、その“人としての大きさ”に同性が憧れ、しかし慄き、
その恐怖感・敗北感を打ち消そうと対象に向ける小さな攻撃の手法の一つとして、
自信のない女性が持ち出して吹聴してまわる、使ってしまう言葉である淫乱。
私の記憶の中に時々現れて静かに微笑む彼女たち、きっと後者だと思う。

淫乱という言葉は否定的な言葉だが、淫乱だけが独立しているわけでもない。
比較的多くのケースで、女性としての魅力を多く兼ね備えていて、
“妖艶にして淫乱”など、つまり、異性の評価なくして淫乱は成立しない。
見方によってはある種の誉め言葉で、事実、
私の人生の中にも、さっきの彼女たちとはまた別の、
後者でなく“前者の方の淫乱”を自分の武器にする程の女性もいた。
包み隠し清楚を装って男たちを騙していた淫乱も、残念ながら存在したが・・・


付き合う対象として不足なく、なのに深い関係にならないままの距離でいられる存在。
“男女間に友人関係は成立するか”というキーワードはよく登場するが、
どうだろう、男性側の愛欲・性欲が片方、そして女性側の愛欲・性欲がもう一方、
お互いのそれが共に発生していなければあるのかもしれない。
男に下心が生まれず、そして、女性を“淫乱”と評される状況にもさせないだろう。

人は狭い道も広い道も歩いていて、狭い道を歩く時には何かにぶつかる事も多い。
女性に向けられる同性からの“淫乱”という言葉での攻撃。
その女性に非があれば受け止めるべきだし、非がないのなら普通に接してあげたい。
人間としての私(男性)にとって、全体の半数を占める女性の存在はとても大きい。
その女性に接する時、恋愛的関係・肉体的関係となるような極端な距離感は別として、
そう、“友人”とか“仲間”とかになりうる距離感の女性、大切にしたいものだ。
友人が淫乱と言われるのは聊かつらい。
あなたの傍にいる女性、淫乱と言われる女性ですか?
前者の淫乱ですか? それとも後者?
いい人だと良いですね。



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(天真爛漫 プラトニック コケティッシュ アンニュイ 妖艶女性)



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